末期癌克服自然生活


伊豆高原


この画像はカシミール3Dを使用しています

見放されてラッキーだった

病院に行かず
手術、放射線、抗癌剤を行わず
自力で末期癌を克服

親父は25年前に余命3ヶ月の末期ガンを病院に行かずに自力で克服しました。

それでも尚、25年間の健康管理というものは大変なものでした。

ここ10年程でしょうか、長年の都会生活に疲れてきたように見えました。

「癌」というよりも、心身共に疲れている。

生命力そのものが無くなってきているような気がしたのです。

それで親父は単身伊豆高原の田舎に移り住みました。

田舎暮らしを始めて、大変元気になりました。

田舎暮らしを決意するに至っては、
長い道のりがありました。

親父の、壮絶な病気との闘いの歴史があったのです。


42歳の厄年に末期癌を宣告され

42歳の厄年に余命3ヶ月の末期ガンを宣告され
42歳の厄年に、「末期の肺癌にかかっている。余命は3ヶ月」と告知されました。踏んだり蹴ったりとはこのことです。これが3番目の死の宣告です。癌は一般の病院で、ごく普通の人間ドッグに入って発見されました。肺癌と言われて正に青天の霹靂。私は元々タバコを吸えない体でしたし、思い当たる症状は全く無かったからです。実はほとんどの癌は、発見された時、自覚症状がありません。例えば交通事故で跳ね飛ばされて緊急手術となった人の体を開けてみたら癌だらけで、医者の方がビックリしたという話をよく聞きます。本人は自覚症状がないから、自分が癌だなんて全然知らないわけです。
癌は自覚症状が無い。だから皆が恐怖を抱くのです。その中でも肺癌は自覚症状が無いですから、なお恐い。肺癌の患者さんで「自分が癌だなんてまだ信じられない。こんなに体力があってバリバリ働いているのに。余命3ヶ月の肺癌と突然宣告されたが、実感が無い」とおっしゃっていた方がいます。癌といえば痩せて痛がってというのは全くの誤解なのです。
私にとっても「末期の肺癌で、余命3ヶ月」なんて宣告されても、現実のものと思えませんでした。医師の説明を受けたら、未分化小細胞癌という、癌の中でも最もたちの悪い癌で、手術は不可能、抗癌剤も不可、手のつけようが無いと匙を投げられました。
しかし、こう言われて、私はむしろ肝が据わりました。よし、これはもう自分で治すしかない、肺癌なら治る、と思ったのです。



親父の闘病歴

幼少時 青年期 成年期
生まれた時は、「半年もたない」といわれたほど虚弱。満州から1000km、歩いて日本へ帰還する。幼少時は、超虚弱体質。 19歳の時に「結核」になる。ストレプトマイシンの薬害で、超重症便秘、副作用で体はボロボロ。「玄米菜食」と出会う。 成年期時は、ストマイの副作用で、「ぢ」に悩まされ手術を6回も繰り返した。その後「大腿骨頭壊死」に。心あるお医者さんから、「もう二度と手術をするな。手術したらしぬぞ。」と告げられる。
約30年前 約25年前 1986年から
私の「小児喘息」、「アトピー性皮膚炎」、「蓄膿症」克服のために、完全玄米菜食を実施する。 「余命3ヶ月の末期がん」に冒される。手術、放射線、抗癌剤等病院治療は一切無しで克服。 グリーンポプリ株式会社を興し、16年間に渡って癌相談をする。
約8年前 約5年前 約3年前
片目を「失明」する。 体調が悪くなる。 伊豆高原で、田舎暮らしを始める

これまでいつも走り続けてきた

田舎でのんびり

趣味に打ち込みたい


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